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大井川と流域の街並み〜下流域から中流域まで〜

ここではますこ的私感によって大井川の下流から中流域の島田市位を紹介していきたいと思っています。私感が強いですので、そこのところよろしくお願いします。

河口付近

@大井川の河口を吉田町側から撮影したもの。奥に見えるのは駿河湾です。 A大井川河口付近にある吉田公園の芝生。こんなところでお弁当持ってピクニックしたら素敵ですよね。吉田公園には花などが咲いている場所もあり憩いの場所です。 B手前に見えるのはウナギの養殖場の跡です。奥のビニールでは養殖がなされています。大井川河口付近はウナギの養殖が盛んでしたが輸入ウナギなどの理由により、廃業によって、こうした跡地が見かけられる厳しい現実があります。


榛原という地名の由来
榛原郡の名が史料に登場するのは723年(天平5年)のことですが、大宝律令(701年大宝元年)によって律令国家として成立することによるところが大きいです。榛原の名前の由来ですが、文字通り「はんのき(榛)が生える原」というところから「榛原」と名付けられたと考えられています。はんのきは湿地帯に生育するそうなので当時は大井川下流域は湿地帯が広がっていたと考えられています。(参考資料 図説金谷町史2005)


大井川流域の名産
 釜揚げしらす(吉田町)
 うなぎ(大井川下流域)
 芋けんぴ(芋ま○ばが美味しい)(吉田町、スーパーでも買える)
 お茶(島田市以北)
 神座蜜柑(島田市)
 お茶羊羹(川根町、中川根町)
  …って凄いランダムで自分の好きなものだけですね。


島田市と蓬莱橋

島田市は大井川の中流域に位置する市です。世界で一番長い木造橋「蓬莱橋」があることで有名ですが、これは明治以降に橋が架けられるようになってから(江戸時代までは大井川に橋を架けることは幕府命令で出来なかった)牧ノ原開拓者達の懇願によってかけられたものです(かなりおおざっぱな説明ですね)。河川改良(上流のダムなど)によって水量が減った大井川ですが、それでもなお蓬莱橋の橋脚が流されることもあり、昭和中期より一部コンクリート橋脚となっています。

@島田市谷口橋から初倉方面を撮影したもの。島田市街地(JR東海道沿線)はこの逆方面に位置します。 A大井川の川面に光が反射したところ。奥に見えるのが蓬莱橋。 B蓬莱橋。木造の上に日本で唯一の渡り賃をとる歩道橋(大人100円)。ご覧のように安全柵がないため、風の強い日は怖いかも…でも柵がないから大井川の風景とマッチしているのですよ。 C蓬莱橋正面。平日なのに意外と観光客が多い。ちなみに蓬莱橋を定期的利用する人用に定期料金があるそうです。


東海道53次の宿場町

大井川流域の島田市と金谷町は江戸時代、大井川を挟む宿場町として栄えたところでした。大井川には橋を架けることが幕府命令で出来ず、川越人足によって大井川を渡河しなければなりませんでした。また大井川は今でこそ推量がダムなどにより減りましたが、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」というぐらいの急流で一度大雨が降れば渡河は出来なくなり、何日も宿泊しなければならず、宿場町としては賑わったそうです。

島田市河原町の旧宿場町沿い。当時の面影を色濃く残しています。


大井川の流れの変遷

現在の大井川の流れは1590年(天正18年)の天正の瀬替えによるものです。それまでの大井川の流れは牛尾山にぶつかり五和地区を流れ島田市に流れていたそうです。また相賀と牛尾山は低い峰で続いていたそうですが、瀬替えの数十年前の大洪水によって低い峰ごと流し牛尾山と相賀を断ち切り、大井川の水流(牛尾山を東に回る)が出来たらしく、これに手を加えそれまでの流れの部分には牛尾山から五和地区に堤を築いて現在の流れにしたそうです。(参考資料 金谷町史2005)

@牧ノ原台地から大井川扇状地を望む。奥に見えるのはアルプスの入り口です。 A牧ノ原を逆に大井川下流域、藤枝方面を望む。奥に見えるのは駿河湾。 B牧ノ原台地から真正面を望むと天気がいい日なら富士山が見える。牧ノ原は景色が美しい穴場 C牧ノ原といえばお茶。国道473号からも見えますが、一つ道を入ればお茶畑ばかり D金谷駅から榛原町へ向かう勝間田線。1日4本(土休日は3本)ですが小学生の大事な足です。しずてつのHPによると地方自治体の自主運行がなされているようです。