2005年の12月北海道ちほく高原鉄道を廃止前に乗っておこうと思い立ち、それまで夏にしか訪問していなかった北海道に「ぐるり北海道フリーきっぷ」を使って旅行に出かけました。

前 編 / 後 編

日高線編
苫小牧から様似まで海沿いを厳冬の海風に吹かれながら、ひた走る路線が日高本線です。行きの様似行きは車両故障のため途中の静内までバス代行というハプニングにも見舞われましたが、車両が故障してしまうほど、厳しい自然の中を走ることを痛感しました。(しかし、残念なことに様似駅を探索する時間は全くありませんでした)
私が乗車した車両の運転手さんは大変、親切な方で、旅をいっそう素晴らしくしてくださいました。


〜岩見沢付近の朝焼け〜

日高線ではありませんが、岩見沢から苫小牧への途中で樹氷が朝焼けに染められる大変幻想的な風景に出会えました。

〜岩見沢から苫小牧行普通列車〜

雪によって線路のバラストも埋まり、鉄路だけが延びているように見えます。

〜日高線車両〜

日高線の車両は他の路線と異なり日高線仕様となっています。運転手さんが言うには「やはり観光路線の面も併せ持たないとやってはいけない」という事で、こうした考え方が社員の方々にあるからこそ、殿様商売にならないんだろうなぁと、感じました。

〜静内駅構内〜

静内駅は日高線途中駅では一番大きな駅です。日高線では数少ない有人直営駅です。
なお日高線では様似のように簡易委託駅では数少なくなった大型常備軟券によって発券している駅もあります。

〜日高門別・駅標〜

駅名に地方の名前や旧国名が入るものは、なかなか捨てがたい物がありますね。

〜日高線の鉄橋〜

海沿いを走ることで有名ですが、河川の鉄橋を見てわかるように、非常に沿岸のしかも低地をひた走ります。
ちなみに河川の鉄橋ですから、目の前の河川は凍っておりますね。

〜沼地と太平洋〜

手前の沼地は凍っております。奥の太平洋は何時もこんな色なんでしょうか?南国の海の青色とは、違った色を見せていますね。


ふるさと銀河線編
平成18年4月をもって残念ながら廃止されてしまう「北海道ちほく高原鉄道」に名残を込めて乗車してまいりました。ふるさと銀河線経由で北見・網走方面の特急を走らせる構想もありましたが、残念ながら費用面から現実にならず、基金も底をつき廃止となった訳です。
乗っての感想ですが、沿線人口の割に冬の保線費用がかかる訳で、赤字額の大きさもうなずけますが、訓子府から多くの高校生が乗車したことを考えると交通弱者に対しては、非常に厳しい処置だったのではないのでしょうか。


〜早朝の池田駅〜

朝一の始発列車に乗るべく、特急「まりも」で朝早く到着。まだ夜は明けず、また、夜に降った雪のために歩道などは雪に埋もれていました。
朝の始発に乗り込むべく、ホームで待っていたら、JR北海道の車両がきたので、根室線の始発と勘違いしていたら、足寄行きだったので吃驚。車両を相互で使用しているのですね。

〜本別駅駅標〜

本別駅のふるさと銀河線の駅標です。ふるさと銀河鉄道の有人駅は一駅数億円をかけて、街のコミュニティ施設を併せ持った駅舎に変わりました。しかし、そうしたお金を赤字に埋めていれば、あと数年は何とかなったでしょうに…

〜本別停車中の列車〜

跨線橋や池田方面のホームは国鉄時代の面影が残ります。朝の銀河線は池田から、帯広・新得方面へ乗り入れる列車があります。
また本別から北見へは100km以上で、硬券乗車券で途中下車が可能な券となります。

〜本別駅に進入する銀河列車〜

雪によって、何処がホームの境目かがわからなくなっていますね。
銀河線有人駅は平日昼間のみ駅員さんがいました。

〜足寄駅停車中の銀河列車〜

銀河線ということで、「銀河鉄道999」の松本零士さんのペイント列車です。個人的にメーテル列車と言っておりますが…
松本零士さんは「銀河鉄道999」でわかるように鉄道が大好きな方なので、銀河鉄道以外の会社でも、たまに登場されますね。

〜置戸停車中の列車〜

白いものが見えますが、これは雪です。この日1時間で15cmほど積もる大雪になったため、ダイヤは乱れに乱れました。
写真でわかるように雪によって鉄路ですら見えず、列車も埋まってしまいそうな勢いです。結局この列車はラッセル除雪車が走った後に北見まで何とか走っていきました。

〜銀河線車窓風景〜

銀河線の沿線は人工物のない自然の川が蛇行をくり返したり、夏には高原や牧場になるだろう雪原が広がる素晴らしい風景でした。

〜北見駅玄関〜

大雪のため、当然JR石北線も止まってしまい4時間以上缶詰状態でした。しかし、そこで私と同じように列車で旅する人に出会えた訳で、旅ってそういった醍醐味があってだからまた旅に出たくなるんですよね。
旅行後記

冬の雪の中での旅は実は6年ぶりで久しぶりの雪の旅行でした。その中で、静岡県で生まれ育って雪のない生活をしてきて(ウインタースポーツもせず)雪というものに憧れがあり、そのため北海道に厳冬を求めて行ったのですが、正直憧れだけでは、生活出来ない世界がそこには存在していました。夏に北海道を訪れ、潰れたファームを見て「厳しいのだろうなぁ」とは思っていたものの、冬の厳しさを目のあたりにし、自分自身甘ったれていては行けないなと感じた旅でした。

前 編 / 後 編